WWEヴィンテージ・コレクション #4

1986年9月 MSG定期戦より



ハート・ファウンデーションブレット・ハート&ジム・ナイドハート)w/z ジミー・ハート vs ファビュラス・ルージョー・ブラザーズ(ジャック&レイモンド)

今回はヒール時代のハート・ファウンデーション登場。お馴染みのピンクではなく水色のタイツです。マネージャにはジミー・ハートが就いています。


ジム“ジ・アンビル”ナイドハートは、ハート家と血のつながりはありませんが、ブレットにとっては姉の夫、義兄になります。最近のWWEでは、スマックダウンで活躍中のナタリヤの父として名前が挙がるようになりました。ナタリヤの特徴的な笑い方は、アンビルのスタイルを模倣したものです。
「アンビル」とは「金床」(かなとこ)の意。四角い顔に角刈り、そして三角形のあごひげと、まさに金床そっくりの風貌です。

フットボール出身のパワーファイターなので、「技のヒットマン、力のアンビル」といった表現がピッタリはまります。


ジミー・ハートは、ファミリーネームこそ「ハート」ですが、ハート家とは何の関係もありません。
元ミュージシャンで、1960年代に人気のあった「ジェントリーズ」というバンドのボーカルを担当していました。"Keep on Dancin"という曲でミリオンセラーを達成しています。
その後、ジェリー“ザ・キング”ローラーに誘われ、レスリングのマネージャに転向しました。
同時代のボビー・ヒーナンが大型レスラーを担当していたのに対し、ジミー・ハートはナスティ・ボーイズのようなタッグ屋や、ホンキートンク・マンなどの小ずるいタイプを担当することが多かったように思います。
拡声器を持ってがなり立てるスタイルで、日本で言えばワカマツのようなタイプですが(アメリカでもあのままのスタイルでやっていたという話)、試合中もひっきりなしに喋り続けるのでうざったいことこの上ありません。
その拡声器はもちろん凶器としても使えます。ジミーがエプロンサイドに立ち、相手のレスラーに張り飛ばされている間に味方のレスラーが拡声器で相手を殴り、そのままフォールを奪うというシーンがよく見られました。ヒットマン&アンビルがジミーと決別した後、逆にそのパターンでやられることが多かったというのは皮肉なものです。
後にハルク・ホーガンと結託し、リングの上だけでなく実際にマネージャとして活動したり、新団体を立ち上げようとしたこともありました。
2006年、WWE殿堂入りしました。


ルージョー兄弟は、ケベック出身のフランス系カナダ人コンビ。レイモンドが兄、ジャックが弟です。
この映像では黒のショートタイツですが、後に派手なハーフタイツを着用し、おバカなフランス系(キザ男)を演じるようになりました。
レイモンドの引退後、ジャックはシングルプレーヤーとなり、ケベック州の森林警備隊をモチーフにした「ザ・マウンティ」を名乗りました。その頃、ヒットマンからIC王座を奪取したものの、わずか2日でロディ・パイパーに奪われたことがあります(レッスルマニアVIIIへの伏線)。
典型的な地域キャラをアピールしていたことから、アメリカ国内ではヒールでも、モントリオールに行った時には大ベビーフェイスとなっていました。「地元キャラならたとえヒールでも全力で応援する」のがWWEの正しい楽しみ方です。つい最近も、ウイリアム・リーガルが英国遠征で一時的にベビーフェイス扱いされていましたし(ついでにウマンガまで応援されていました)、ちょっと前の話ですが、ラ・レジスタンスがモントリオールに行った時にはいつも通りのずるい試合をしていたのに声援を集めていました。
ルージョー兄弟は、とにかく抜群に「プロレスが巧い」チームだったという印象があります。この頃は多彩な技を繰り出していますが、ヒールになってからはほとんど技を出さなくなりました。自分たちの役割をよく理解し、それを忠実に務めていたという点で、高く評価されていたチームだといわれています。


○レイモンド(サンセットフリップによるピンフォール)ブレット×



ティト・サンタナ vs “キング”ハーリー・レイス w/z ボビー“ザ・ブレイン”ヒーナン

ハーリー・レイスは、7度のNWA世界ヘビー級王者として知られる大物中の大物。7度の世界王座獲得は、ルー・テーズの6度を上回る最多記録でした…と言いたいところですが、実はカネックがそれを上回っています(15度のUWA王者)ので、この辺の数字はいい加減です。それでもリック・フレアーの時代、団体を超越した16度の記録は賞賛されるべきですが。
ワールド・レスリング・フェデレーション入りしてからのレイスは、1986年に「キング・オブ・ザ・リング」を制したものの、三下にフォールを許すことも多く、決して優遇されていたとはいえません。結局、大物のレイスを矮小化することで、ワールド・レスリング・フェデレーションの力を誇示するのに利用されただけといった印象があります。レイスだけではなく、ホス・ファンク(ドリー・ファンクJr.)やリッキー・スティムボート、ダスティ・ローデスも似たような立場で、ホーガンの王座に手も届かない位置に置かれていました。それを考えると、リック・フレアーの凄さが理解できます。


○レイス(リバース・サンセット→スクールボーイによるピンフォールサンタナ×


なんだこの勝ち方は!これが元NWA王者か!と思ったらビンスの思うつぼ。



ハルク・マシン&スーパー・マシン&ビッグ・マシン vs ボビー“ザ・ブレイン”ヒーナン&キングコング・バンディ&ビッグ・ジョン・スタッド

まさかWWEでストロングマシーンズが見られるとは(笑)
今度はジャイアント・マシンも見たいなあ。


スーパー・マシンの中の人は、マスクド・スーパースターと同じ。つまり、デモリッション・アックスことビル・イーディです。
ビッグ・マシンって誰?…と思ってググったところ、ブラックジャック・マリガンだったそうです。ブラックジャックスの片割れ。バリー・ウィンダムとケンドール・ウィンダムの父。偽札…は忘れてやれ。2006年、WWE殿堂入り。
ハルク・マシンは…見たままです。
その辺の事情が丁度良くまとまっているサイトがありました。
Masked Superstar Bio


キングコング・バンディは、「レッスルマニアII」のメインにおいて、ホーガンとケージマッチで対戦しています。
AWAに所属していた頃に来日し、アントニオ猪木と賞金獲得ボディスラムマッチで試合をしています。その結果は「バンディが猪木をボディスラムで投げて賞金を獲得するも、それを喜んでいる隙に猪木が攻撃し、試合は猪木勝利」という、実にいい加減なものでした。あれは「落日の猪木」を象徴するような試合だったと思っています。
新日本プロレスの公式なニックネームは「白鯨」(巨鯨?)だったと記憶していますが、当時「ワールドプロレスリング」の実況を担当していた古舘伊知郎は、バンディを「マシュマロマン」(映画「ゴーストバスターズ」がヒットした後だった)呼ばわりしていました。


ビッグ・ジョン・スタッドは、マスクマンとして新日本プロレスに参戦していますが、それほどインパクトは残せなかったように思います。2mクラスの巨体ではありましたが、大巨人アンドレの存在に隠れて目立たなかったのです。しかし、そのアンドレとはワールド・レスリング・フェデレーションにおいてライバル関係にありました。
レッスルマニア(I)」では、アンドレと15,000ドル獲得ボディスラムマッチで対戦しています。おお、バンディとボディスラムマッチでつながっている!…でも、こちらは「投げた時点で決着」。アンドレがスタッドを投げた時点で試合は終了し、アンドレは獲得した賞金を観客席にばら撒いたのですが、その途中でヒーナンが札束の入ったカバンを強奪して逃げ帰ってオチがつきました。
レッスルマニアII」では、レスリング・フットボール合同バトルロイヤルに出場しました。NFLの“人間冷蔵庫”ことウイリアム・ペリーのタックルをスカして敗退させたものの、その後ペリーに腕を引っ張られて転落し、敗退してしまいました。ちなみに、そのバトルロイヤルにはハート・ファウンデーションも参加していました。
1989年には、ミリオンダラーマンが金で30番クジを買ったことで話題となった「ロイヤルランブル」で、デビアスを敗退させて優勝しています。バトルロイヤルに強かったんですね。
しかし、その後は華やかな舞台から遠ざかり、1995年、がんで亡くなりました。


ボビー“ザ・ブレイン”ヒーナンは、レスラーとしての実績はほとんどなく、基本的にマネージャです。「プロレススーパースター列伝」を見ていた人にとっては「空手修行で金的と目潰しだけ覚えて道場主を激怒させた男」という印象があるかもしれません。
ボビー・ヒーナン
AWAではニック・ボックウィンクルのマネージャとして活躍していましたが、この番組の司会を担当しているミーン・ジーン・オーカーランドらと同じく、ワールド・レスリング・フェデレーションに引き抜かれました。
ワールド・レスリング・フェデレーションでは常にチャンピオンに敵対する存在であり、挑戦者のマネージャを歴任して存在感を見せていました。
公式ニックネームは「ブレイン」(頭脳)でしたが、「ウィーゼル」(イタチ)とも呼ばれていました。



○ハルク(レッグドロップからピンフォール)スタッド×
※レフェリーが見ていない隙に、ダウンしていたビッグとハルクが入れ替わって反撃


マシーンズ伝統の入れ替わり戦法がオチ。「肌の色も髪の色も全然違うだろ!」とか思ったらハルク・マシンの思うつぼ。
試合後の筋肉パフォーマンスで、テレビに映らない角度で観客にだけこっそり素顔を見せていました。
なんだか見たことのあるようなシーンに感じるのは、あくまでデジャヴです。ミスター・アメリカとハルク・ホーガンは別人です。