WWEヴィンテージコレクション #9

今回は1989年の「サマースラム」から。



ジム・ドゥガン&デモリッション(アックス&スマッシュ) vs アンドレ・ザ・ジャイアント&ツインタワーズ(ビッグ・ボス・マン&アキーム) w/z スリック&ボビー・ヒーナン

アキーム“ジ・アフリカン・ドリーム”は、以前は「ワンマン・ギャング」と名乗っていましたが、後にアフリカ出身の「アキーム」を名乗りました。おそらく「星の王子ニューヨークへ行く」の主人公の名前を採ったものだと思われます。「アフリカの星」の名の通り、背中にはアフリカの地図が描かれています。


※追記:NBAにいたアキーム・オラジュワンが元ネタだそうです。


YouTube - One Man Gang becomes Akeem
YouTube - Akeem Entrance Music
個人的にはこの訳の分からないラッパー風の動きと入場テーマが大好きでした。「レッスルマニアX7」でワンマン・ギャングとして参戦した時、アキームではなかったのでちょっとがっかりしたのですが、どうやら「アキーム時代のコスチュームが痩せて合わなくなった」ことが理由だったようです。
なお、ドゥガンとは第1回「ロイヤルランブル」で最後の二人に残った(ドゥガン勝利)という因縁があります。


レッスルマニアVI」ではツインタワーズが仲間割れし、ボスマンがアキームからピンフォールを奪っています。
アキームはワールド・レスリング・フェデレーション離脱後、WCWに移籍してワンマン・ギャングに名前を戻しました。
佐々木健介に勝利し、US王座を奪取したこともあります。したんだってば。本当は試合していないという主張が一部に見られますが、誰かそれを証明できますか?ギャングの当時の行動を全て把握している人がいるんですか?言い掛かりはやめていただきたい。


それにしてもアンドレの衰えぶりは目を覆いたくなります。トップロープをまたぐだけで精一杯。リングで立っているだけでヨタヨタしています。この頃、既にロープを掴まずにビッグブートを放つことができなくなっていたはずです。


今回驚いたのはデモリッションの大きさ。大型なのは分かっていましたが、今回見たらツインタワーズと遜色ないくらいで、それほど大きかったとは気づいていませんでした。ボスマンは間近で見たことがありますが、ありえないくらいデカいですよ。
スマッシュはボスマン、アキームと連続してボディスラムで投げました。それもよろけることなく、完璧に投げきるという怪力ぶり。そのスマッシュでもそれほど大きくは見えなかったのですから、当時のワールド・レスリング・フェデレーションのレスラーがどれだけ大型揃いだったかが分かります。


○スマッシュ(ドゥガンの角材攻撃からピンフォール)アキーム×


またこれか。どっちがヒールか分からんな。



ハート・ファウンデーション vs ブレーンバスターズ(アーン・アンダーソン&タリー・ブランチャード) w/z ボビー・ヒーナン

タッグマッチの教科書のような試合。典型的というか、古典的というか、基本に忠実で各人がやるべきことを果たしていて、各チームそれぞれベビーフェイス及びヒールのお手本になるような試合運びでした。


○アーン(カバー状態のヒットマンへのダブルアックスハンドルからピンフォールヒットマン×


以前「頭隠して尻隠さず」戦法のことを書きましたが、それはこの試合でした。レッスルマニアVじゃなかったのね。
今回見たらイマイチ笑えなかったのですが、やはりフィニッシュシーンを繰り返しVTRで流してもらわないと面白さが伝わりませんね。



レッド・ルースター vs “ミスター・パーフェクト”カート・ヘニング

なんかもうカートの一人芝居。ヒップトスもドロップキックも美しい。この人のレスリングは芸術品です。
それに比べてルースターのしょっぱいことしょっぱいこと。見せ場なし。
最後は無理やり終わらせた感じです。


○ヘニング(パーフェクト・プレックスによるピンフォール)ルースター×



ミリオンダラー選手権試合 “ミリオンダラーマン”テッド・デビアス w/z バージル vs “スーパーフライ”ジミー・スヌーカ

ハンセンとブロディの代理戦争的な見方をするのは昭和全日ファン。
嫌味な金持ちとポリネシアの野人の闘いと見るのがワールド・レスリング・フェデレーションファン。
なぜなら、これはデビアスが勝手に作った「ミリオンダラー・チャンピオンシップ」のタイトルを賭けた試合だからです。ちなみにこのタイトルを獲得したのは、デビアスの他には仲間割れ後のバージル(黒人の召使)と、リングマスターだった頃のスティーブ・オースチンだけです。


デビアス(カウントアウト)スヌーカ×


試合後、スヌーカがバージルを襲い、スーパーフライを決めました。デビアスは召使を放置して逃走。



ホンキートンク・マン vs “アメリカン・ドリーム”ダスティ・ローデス

デビアスの試合の後にローデスの試合を持ってきたのは、やはり息子の関係でしょうか?テッド・デビアスの息子テッド・デビアス(同じ名前)と、ダスティ・ローデスの息子コーディ・ローデスが現在タッグチームを組んでいます。


ホンキートンク・マンは、エルビス・プレスリーのコスプレ野郎です。
アルティメット・ウォリアーに30秒持たずにフォール負けしたり、ブルーザー・ブロディに16秒でフォール負けしたことによって「弱い」という印象を持たれていますが、実はインターコンチネンタル王座最長防衛記録を持っており(未だに破られていない)、「オールタイムでグレーテストなインターコンチネンタルチャンピオン」とも呼ばれていました。その王座を失ったのが対ウォリアー戦の秒殺劇だったわけですが。
技らしい技はスリーパーホールドくらいしかないのですが、それで試合を組み立てられるのがすごい。今でこそホンキーの巧さが分かりますが、当時は本当にしょうもないレスラーだと思っていました。
実はジェリー“ザ・キング”ローラーのいとこだったりします。


○ローデス(ジミー・ハートのギターショット誤爆→エルボードロップからピンフォール)ホンキー×


コスプレで持ち込む小道具のギターは凶器になるわけですが、今回はそれで自分がやられてしまいました。この間抜けっぷりこそがホンキーの魅力。私はバカヒールが大好きです。



ガマニアックス(ハルク・ホーガン&ブルータス・ビーフケーキ) w/z エリザベス vs “マッチョキング”ランディ・サベージ&ゼウス w/z センセーショナル・シェリ

ブルータス・ビーフケーキ。ホーガンの弟とも名乗っていた時期がありましたが、実際には幼馴染だったそうです。本名「エドレスリー」。エド・はるみとは無関係です。24時間テレビのマラソン前の演説は感動的でしたね。何の話だ。
プロレス入りもホーガンの影響を受けてのものですし、ずっとホーガンの後を追って団体を渡り歩いていました。
ホーガンの七光りかというと、はっきり言ってその通りで、特徴のない地味なレスラーでしたが、グレッグ・バレンタインとのタッグではそれなりに高い評価を受けていました。
この試合の当時は“バーバー”つまり床屋を名乗っていました。インタビュー時に手に持っているハサミは床屋のイメージです。「レッスルマニアIII」では、ロディ・パイパー vs アドリアンアドニス戦の終了後に入ってきてアドニスの髪を切っていましたが、その頃から既に床屋キャラだったのです。
1990年、パラセーリングの事故により顔面整形が必要なほどの大怪我をしました。復帰した頃にはそれを逆手にとって、フェイスプロテクターを装着して試合をし、うまく凶器に使っていたりもしていましたが、やはり後遺症があったようで、特筆すべき活躍は見られませんでした。
WCWではケビン・サリバン率いる「ダンジョン・オブ・ドゥーム」に入り「ゾディアック」を名乗ったこともありました。


ゼウスは…ただの俳優でしょう。ベアハグ以外の技が何もありません。「痛みを感じない怪人」というキャラクタではありましたが、唯一、目だけが弱点という設定でした。


試合の構図は「ホーガン&エリザベス対サベージ&シェリー」と「ホーガン対ゼウス」の二重構造。
サベージのマネージャだったエリザベスは、メガパワーズ解散後、ホーガン側に付きました(前週放送分の延長線上)。すると、サベージは新たに“センセーショナル”シェリーをマネージャに迎え、自身“マッチョキング”を名乗り、シェリーには“クイーン”を名乗らせました。その対立がここまで引っ張られたのですが、その後更に1年半も引っ張られることになります。


ゼウスはホーガンの主演映画「ゴールデン・ボンバー」の敵役でした。その映画の俳優が、どういうわけか現実のリングに上がってホーガンに挑戦したのです。
映画でのホーガンのリングネームが「サンダー・リップス」。何のことはない「ロッキー3」そのままです。決め技が「走り込んでのダブルアックスハンドル」という、あまりにもショボい技で脱力した覚えがあります。まあ、現実でもレッグドロップが決め技だったわけですが。話の種に見てみるのは構いませんが、はっきり言ってB級もいいところです。
解説・あらすじ ゴールデンボンバー - goo 映画


○ホーガン(凶器バッグによる殴打→ボディスラム→レッグドロップからピンフォール)ゼウス×


この試合では「レッスルマニアV」に続き、またもサベージの必殺エルボードロップを平然と返すという、サベージ全否定がなされています。いったい何を考えているのでしょうか?
試合後はホーガンがシェリーを暴行し、パンモロアトミックドロップを仕掛けました。女性虐待です。
しかも、直後にエリザベスが凶器バッグでシェリーを殴っています。今回は出てきませんでしたが、この後髪まで切られています。
シェリーのあまりの悲惨さにかえって同情してしまいました。そして、この試合を見た時からエリザベスがちょっとずつ嫌いになっていきました。
この試合は、日本人の感覚に合うとは思えません。どう見てもホーガンサイドの方が悪どい事をしています。それでも絶対的ヒーローのホーガンだからこそアメリカでは受け入れられたんでしょうね。

WWEヴィンテージ・コレクション #6

順番が逆になっています。


1989年3月 マジソン・スクエア・ガーデン定期戦より



ブルックリン・ブローラー vs レッド・ルースター

ブルックリン・ブローラーは、WWEのエージェントとしても知られるスティーブ・ロンバルディのキャラクタのひとつ。他にキム・チーやドインクの中の人、野球キャラもやっていました。
特筆すべき実績はありませんが、名脇役として名を残している人物です。あと、パット・パターソンの(以下自主規制)


レッド・ルースターも特筆すべき実績がありません。テリー・テイラーの名の方が通りが良いかもしれません。ローカルタイトルはやたら獲得していますが、メジャータイトルにはほとんど縁がありません。そのわりにワールド・レスリング・フェデレーションでもWCWでもそれなりに厚遇されていたのが謎。TNAでもエージェントとして活動しています。期待されていたわりにイマイチで、背広組としては良い扱いをされているという点では、ジョニー・エースに通じるものがあります。
「レッド・ルースター」とは「赤い雄鶏」の意。その名の通り、髪型がニワトリのとさかのようになっています。


○ルースター(バックスライドによるピンフォール)ブローラー×



“ミスター・パーフェクト”カート・ヘニング vs ロニー・ガービン

カート・ヘニングは、元AWA世界王者。ニック・ボックウィンクルから奪取し、ジェリー“ザ・キング”ローラーに奪われました。後にキングの持つ王座がユニファイド(統一)王座になるとか剥奪するとかで大揉めするのですが、それはまた別の話。
あのスコット・ホールと組んで、AWAタッグ王者にもなっています。
父は“アックス”ラリー・ヘニング。
ワールド・レスリング・フェデレーションではインターコンチネンタル王座止まりでしたが、「パーフェクト」の名の通り、その卓越したセンスは間違いなく世界のトップクラスでした。
ドロップキックやパーフェクト・プレックスのフォームの美しさは芸術品といってよいくらいのものでした。
首を痛めてセミリタイア状態にあった時期には“リアル・ワールド・チャピオン”時代のリック・フレアーの付き人(エグゼクティブ・コンサルタントとか名乗っていました)を務めていたこともありました。
2003年、コカイン中毒により死去。長い間腰や首に故障を抱えていたのを薬物で抑えていたのが祟ったようです。
2007年、WWE殿堂入り。


意外なことに、ロニー・ガービンも元NWA世界王者です。リック・フレアーに勝利して王座を奪取しました。2ヶ月ほどで取り返されましたが。はっきり言って、どうってことない平凡なレスラーです。なぜチャンピオンになれたのか不思議で仕方ありません。


○ヘニング(クロスボディを切り返してピンフォール)ガービン



バッドニュース・ブラウン vs ハーキュリーズ

ハーキュリーズ、別名ヘラクレス・ヘルナンデス(ハーキュリーズヘラクレスの英語読み)。
ワールド・レスリング・フェデレーションではその名の通り怪力キャラとして知られていましたが、同じような怪力キャラのアルティメット・ウォリアーやビリー・ジャック・ヘインズと抗争していたこともありました。
得意技はフルネルソン(羽交い絞め)。チェーンを持って入場していましたから、それを凶器に使うこともありました。
力を売り物にしているわりに背が高くないし、体は堅いし、技も迫力がないし、とても日本で通用するような人だとは思っていなかったのですが、なぜか新日本プロレススコット・ノートンと組んで「ジュラシック・パワーズ」として通用してしまいました。誰がどんな形で成功するか分かりませんね。ノートンが成功したのも謎ですが。
2004年、心臓病により死去。おそらくステロイドの後遺症です。ちなみにカート・ヘニングと同じくフロリダ州タンパで亡くなっています。


ハーキュリーズ(ダブル・カウントアウトにより引き分け)ブラウン△



ブッシュワッカーズ(ブッチ&ルーク)&“ハクソー”ジム・ドゥガン vs ファビュラス・ルージョー・ブラザーズ(ジャック&レイモンド)&ディノ・ブラボー w/z フレンチー

ドゥガンはご存知角材男。現役バリバリです。
ブッシュワッカーズは、ニュージーランド出身のタッグチーム。レスリングに関してはこれといって何もないのですが、独特の歩き方やシャウト、足を踏み鳴らして手を振り上げるだけのパフォーマンスで人気者となりました。
「シープハーダース」の名で全日本プロレスにも参戦しています。
このトリオは、はっきり言って頭のイカレたおっさんの集まりです(もちろんキャラクタとして)。かつての日本でこのトリオが人気を集めるなんてことは絶対にありえなかったでしょう。実際、SWSではまったく人気が出ませんでした。今ならいけるかもしれませんが。
どう見ても巧そうには見えないのに、実は試合の組み立てが巧く、ファンの目を引き付けるテクニックに関しては抜群のものを持っていました。


ディノ・ブラボーと聞いて思い出すのは、やっぱりその死に際です。1993年、マフィアに蜂の巣にされました。密輸に関わるトラブルだと推測されています。
大スポ(大阪スポーツ)の一面でその記事を見た時には目が点になりました。そんな映画みたいな状況が現実に存在するとは思っていませんでしたから。
レスラーとしては、ハーキュリーズと同じく怪力キャラで売っていました。最近のレスラーに対比させると、ハーキュリーズクリス・マスターズで、ブラボーはマーク・ヘンリーに相当します。なにしろ自称「ワールド・ストロンゲスト・マン」ですから。但し、ヘンリーはそれなりに実績がある(重量挙げでオリンピック出場経験あり)のに対し、ブラボーのはハッタリです。
抗争相手は“ザ・ロック”ドン・ムラコやケン・パテラ。アースクェイクとタッグを組んでいたこともあります。
ブラボーはケベック出身のフランス系カナダ人ですから、ルージョー兄弟とは同じアイデンティティを持っているということになります。そして、そのマネージャの名前が「フレンチー」。ふざけた名前です。


○ブッチ(リング外、背後からの角材の一撃からピンフォール)レイモンド×


なんちゅう勝ち方だ。どっちがヒールか分からんな。



ブレーンバスターズ(アーン・アンダーソン&タリー・ブランチャード) vs ロッカーズ(ショーン・マイケルズ&マーティ・ジャネッティ)

アーン・アンダーソンは、アンダーソン兄弟(偽兄弟)の一人。後にリック・フレアーを中心とするユニット「フォー・ホースメン」の一員となり、参謀的存在として活躍しました。
現在はWWEのエージェントを務めています。
抜群にプロレスが巧く「職人」「仕事師」として尊敬されています。相手の良さを引き出すのも巧く、まさに「名バイプレーヤー」といえる、素晴らしいレスラーです。
タリー・ブランチャードもフォー・ホースメンの一員でした。トップロープのリバウンドを利用したブレーンバスターの開発者でもあります。
この人はとんでもなくオーバーで鼻につくリアクション芸の持ち主ですが、不思議とそれが味になっています。私はそれが見たくて藤波とのシングルマッチを観戦しに行きました。あのアントーニオ本多が「尊敬するレスラー」として名を挙げているということから分かるように、マニアックな趣味の人が好む職人レスラーです。


この二人で思い出すのは、なんといってもあの試合。確か「レッスルマニアV」だったと記憶しています。
最後にタリーとアーンが入れ替わってフォールするのですが、タイツの色や体格こそ似ているものの、アーンはハゲなので、そのままでは入れ替わったのがバレバレになってしまいます。そこでアーンは、頭を手で覆ったまま相手に被さったのです。その為、レフェリーはフォールしているのがハゲであることに気づかず、3カウントを入れてしまいました。
言葉で説明しても面白さは伝わらないでしょうが、映像で見たら爆笑できること請け合いです。


ロッカーズ(レフェリーのカウント妨害による反則)ブレーンバスターズ×




ケージマッチ ハルク・ホーガン vs ビッグ・ボスマン w/z スリック

ビッグ・ボスマン。リングネームの変遷が激しく、全日本プロレスに参戦した時には「ビッグ・ブバ」や「ビッグ・ブーバー」を名乗っていましたし、WCWでは「ビッグ・ババ・ロジャース」、後に「ガーディアン・エンジェル」などのリングネームを名乗っていました。全日では御大と名前が被るのを避けて「ブバ」にしたという説が有力です。
基本的に、普通の服を着たまま試合をするのが特徴です。ババ・ロジャースとしては用心棒風、ボスマンとしては警備員風のリングコスチュームでした。警備員の時には警棒を振り回すパフォーマンスも行っていました。
この頃はスリックがマネージャに就き、“アフリカン・ドリーム”アキーム(ワンマン・ギャング)とのタッグチーム「ツインタワーズ」として活動していましたが、シングルプレーヤーとしてもホーガンのライバルに抜擢されたりして活躍していました。2m近い長身で、しかも(この頃は特に)太っていたのに、身軽で動けるとして高く評価されていました。
ダウンしそうになってセカンドロープに倒れこみ、そのリバウンドで起き上がるという芸の持ち主でもありました。
アンダーテイカー戦での首吊りシーンも印象に残っていますが、2004年には本当に亡くなったので洒落になりません。
…なんか故人多すぎ。別に故人を選っているわけではないのにそうなってしまうのが悲しいところ。


○ホーガン(エスケープ)ボスマン×

WWEヴィンテージ・コレクション #7

1986年10月 マジソン・スクエア・ガーデン定期戦より



ジム“ジ・アンビル”ナイドハート vs ダイナマイト・キッド w/z マチルダ(犬)

「爆弾小僧」ことダイナマイト・キッド。シングルプレーヤーとしては、なんといっても初代タイガーマスクのデビュー戦の相手にして最大のライバルとして知られています。
ワールド・レスリング・フェデレーションや全日本プロレスでは、デイビーボーイ・スミスとのタッグチーム「ブリティッシュブルドッグス」として活躍しました。そのチーム名から、ブルドッグ「マチルダ」を連れて入場していました(透明犬ミケーレみたいなインチキではありません)。小柄だったこともあり、アメリカではタッグでの活動が中心でした。
体格差を埋める為にステロイドを過剰に使用し、今ではその後遺症で体がボロボロになっています。それでも生きているだけまだましといえるかもしれません。パートナーのスミスはおそらくステロイドの副作用で亡くなりました。
そして、キッドのファイトスタイルはクリス・ベノワに受け継がれました。
…なんだか暗い話にしか進みそうにないのでこの辺で。


○キッド(後方回転エビ固めによるピンフォール)ナイドハート×



アイアン・シーク vs ジャック・ルージョー

アイアン・シークは中東キャラでしたが、本当にイラン出身です。イラン革命後に悪役として大ブレイクし、一時はボブ・バックランドを破ってワールド・レスリング・フェデレーション王者にまでなりました。王座は短期間でハルク・ホーガンに奪われるのですが、大ヒールのシークに勝ったということがホーガンを一気にアメリカンヒーローに押し上げたという面もあります。
レッスルマニア(I)の頃はソ連キャラ(亡命ロシア人らしい)のニコライ・ボルコフと反米同盟を組み、タッグ王座を獲得しました。ソ連イラクの国旗を振り回し、ボルコフに至っては試合前にソ連国家を歌うのですから、その嫌われようは半端ではありませんでした。
その後一旦ワールド・レスリング・フェデレーションを離れるのですが、湾岸戦争後、なぜかイラクの「ムスタファ大佐」を名乗って復帰し、かつての抗争相手だったサージェント・スローターや、ジェネラル・アドナンと組んで顰蹙を買っていました。
イ・イ戦争当時にイラン人キャラを前面に押し出したり、その戦争相手の軍人を名乗ったり、ましてや湾岸戦争直後にイラク人を名乗るなんて、並大抵の覚悟で出来ることではありません。まさにプロフェッショナル。
そんなシークですが、今ではレジェンドの一人としてファンから尊敬される存在です。本当のWWEファンは、キャラクタはキャラクタとしてブーイングを飛ばしますが、真のプロフェッショナルへの敬意は忘れません。


それにしても、ジャックに"USA!"チャントが飛ばされるシーンなんて始めて見ました。そもそも、アメリカ人ではなくカナダ人ですよ。そういえば、ヒットマンもヨコズナを相手にした時"USA!"の声が飛んでいました。
…ちょっと待て!アメリカ人にとってはイランもソ連も日本も同じか!とんでもないことに気づいてしまいました。ヨコズナはサモア出身ですが。


○ジャック(ロープ越しのサンセットフリップによるピンフォール)シーク×



グレッグ“ザ・ハンマー”バレンタイン vs デイビーボーイ・スミス

グレッグ・バレンタインは、新日本プロレスに何度か参戦しています。父は“妖鬼”と呼ばれたジョニー・バレインタイン。ジョニー21歳の頃の子供なので、息子のグレッグとの年齢差が小さく、一時はジョニーの弟と称していました。
かつてはテッド・デビアスと並んでリック・フレアーのライバル、時期NWA王者といわれていましたが、結局世界のタイトルには手が届きませんでした。
得意技は父親譲りのエルボー攻撃の数々。


デイビーボーイ・スミスは、変わった名前ですが本名です(正確にはデビッド・ボーイ・スミス)。親が出生届を出す際にミドルネーム欄と性別欄を間違えたことからそんな名前になった、とWikipediaに書かれていますが、本当でしょうか?
Davey Boy Smith - Wikipedia, the free encyclopedia


Smith's middle name, Boy, was the result of one of his parents mistaking the name field on Smith's birth certificate for the gender field.
日本ではザ・コブラのデビュー戦の相手「ザ・バンピート」として知られて…はいないですね。すぐマスク脱ぎましたから。コブラの時代にはキッドと並んで新日ジュニアトップ外人として活躍しました。そのジュニア離れした体格は、古舘伊知郎に「筋肉の終着駅」と呼ばれていました。関係ない話ですが、私にも「コブラは外人」と言われて信じているような純真な頃がありました。今やすっかり…
ワールド・レスリング・フェデレーションでは、タッグでも活躍しましたが、シングルでもかなりの活躍を見せました。
英国ウェンブリースタジアムで行われた1992年の「サマースラム」ではメインに出場し、ヒットマンを破ってインターコンチネンタル王座を獲得しました。世界タイトルマッチを差し置いてのメインということで、微妙といえば微妙な評価です。英国興行の看板ではあるものの、世界王座は任せられないということですから。そこで王座を奪われたヒットマンは、その後世界王座を獲得します。


○バレンタイン(ロープ掴み式エビ固めによるピンフォール)スミス×



レイモンド・ルージョー vs ブレット“ヒットマン”ハート

なんだかモントリオールカルガリーの代理戦争のようです。


○ブレット(ロープ足掛け式エビ固めによるピンフォール)レイモンド×


今回こんな決着ばっかり…



5万ドル争奪 タッグチーム・バトルロイヤル

※タッグチームとして出場し、パートナーが敗退したらチームごと失格となる。決着はオーバー・ザ・トップロープ
退場順:

  • ムーンドッグス(誰か分からん)
  • S.D.ジョーンズ&マイク・ロトンド
  • “チーフ”ジェイ・ストロンボー&ゲーターウルフ
  • アイアン・シーク&ニコライ・ボルコフ
  • (CM中に脱落 ハート・ファウンデーションブレット・ハート&ジム・ナイドハート))
  • (CM中に脱落 ブリティッシュブルドッグス(ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス)
  • キラー・ビーズ(ジム・ブランゼル&ブライアン・ブレアー)
  • ルージョー・ブラザーズ(ジャック&レイモンド)
  • ドリームチーム(ブルータス・ビーフケーキ&グレッグ・バレンタイン)
  • マシンズ(スーパー・マシン?&ビッグ・マシン?自信なし)
  • ビッグ・ジョン・スタッド&キングコング・バンディ
  • アイランダーズ(タマ&ハク)


アイランダーズ(バンディのショルダータックル誤爆によるスタッド転落)スタッド×


ムーンドッグスはメンバー交替がモーニング娘。並みに多いので特定できません。


ハクはトンガ出身で、元大相撲の力士です。「福の島」という四股名で活躍しましたが、朝日山部屋のお家騒動に巻き込まれて廃業しました。その後全日本プロレス入りし「プリンス・トンガ」を名乗りました。
ワールド・レスリング・フェデレーション入りした後は「キング・トンガ」を名乗ったものの、トンガ政府に抗議されて「ハク」と改名しました。WCWでは「ミング」を名乗っていました。
ハクはそれなりの体格のはずなのですが、パートナーがアンドレだったり、相手がスタッドだったりするので、このリングではまるで軽量級かのように見えます。リキシと組んだ時はかなり大きく見えていましたが。
しかしアイランダーズでバトルロイヤルに優勝していたとは知らなかった。

WWEヴィンテージ・コレクション #4

1986年9月 MSG定期戦より



ハート・ファウンデーションブレット・ハート&ジム・ナイドハート)w/z ジミー・ハート vs ファビュラス・ルージョー・ブラザーズ(ジャック&レイモンド)

今回はヒール時代のハート・ファウンデーション登場。お馴染みのピンクではなく水色のタイツです。マネージャにはジミー・ハートが就いています。


ジム“ジ・アンビル”ナイドハートは、ハート家と血のつながりはありませんが、ブレットにとっては姉の夫、義兄になります。最近のWWEでは、スマックダウンで活躍中のナタリヤの父として名前が挙がるようになりました。ナタリヤの特徴的な笑い方は、アンビルのスタイルを模倣したものです。
「アンビル」とは「金床」(かなとこ)の意。四角い顔に角刈り、そして三角形のあごひげと、まさに金床そっくりの風貌です。

フットボール出身のパワーファイターなので、「技のヒットマン、力のアンビル」といった表現がピッタリはまります。


ジミー・ハートは、ファミリーネームこそ「ハート」ですが、ハート家とは何の関係もありません。
元ミュージシャンで、1960年代に人気のあった「ジェントリーズ」というバンドのボーカルを担当していました。"Keep on Dancin"という曲でミリオンセラーを達成しています。
その後、ジェリー“ザ・キング”ローラーに誘われ、レスリングのマネージャに転向しました。
同時代のボビー・ヒーナンが大型レスラーを担当していたのに対し、ジミー・ハートはナスティ・ボーイズのようなタッグ屋や、ホンキートンク・マンなどの小ずるいタイプを担当することが多かったように思います。
拡声器を持ってがなり立てるスタイルで、日本で言えばワカマツのようなタイプですが(アメリカでもあのままのスタイルでやっていたという話)、試合中もひっきりなしに喋り続けるのでうざったいことこの上ありません。
その拡声器はもちろん凶器としても使えます。ジミーがエプロンサイドに立ち、相手のレスラーに張り飛ばされている間に味方のレスラーが拡声器で相手を殴り、そのままフォールを奪うというシーンがよく見られました。ヒットマン&アンビルがジミーと決別した後、逆にそのパターンでやられることが多かったというのは皮肉なものです。
後にハルク・ホーガンと結託し、リングの上だけでなく実際にマネージャとして活動したり、新団体を立ち上げようとしたこともありました。
2006年、WWE殿堂入りしました。


ルージョー兄弟は、ケベック出身のフランス系カナダ人コンビ。レイモンドが兄、ジャックが弟です。
この映像では黒のショートタイツですが、後に派手なハーフタイツを着用し、おバカなフランス系(キザ男)を演じるようになりました。
レイモンドの引退後、ジャックはシングルプレーヤーとなり、ケベック州の森林警備隊をモチーフにした「ザ・マウンティ」を名乗りました。その頃、ヒットマンからIC王座を奪取したものの、わずか2日でロディ・パイパーに奪われたことがあります(レッスルマニアVIIIへの伏線)。
典型的な地域キャラをアピールしていたことから、アメリカ国内ではヒールでも、モントリオールに行った時には大ベビーフェイスとなっていました。「地元キャラならたとえヒールでも全力で応援する」のがWWEの正しい楽しみ方です。つい最近も、ウイリアム・リーガルが英国遠征で一時的にベビーフェイス扱いされていましたし(ついでにウマンガまで応援されていました)、ちょっと前の話ですが、ラ・レジスタンスがモントリオールに行った時にはいつも通りのずるい試合をしていたのに声援を集めていました。
ルージョー兄弟は、とにかく抜群に「プロレスが巧い」チームだったという印象があります。この頃は多彩な技を繰り出していますが、ヒールになってからはほとんど技を出さなくなりました。自分たちの役割をよく理解し、それを忠実に務めていたという点で、高く評価されていたチームだといわれています。


○レイモンド(サンセットフリップによるピンフォール)ブレット×



ティト・サンタナ vs “キング”ハーリー・レイス w/z ボビー“ザ・ブレイン”ヒーナン

ハーリー・レイスは、7度のNWA世界ヘビー級王者として知られる大物中の大物。7度の世界王座獲得は、ルー・テーズの6度を上回る最多記録でした…と言いたいところですが、実はカネックがそれを上回っています(15度のUWA王者)ので、この辺の数字はいい加減です。それでもリック・フレアーの時代、団体を超越した16度の記録は賞賛されるべきですが。
ワールド・レスリング・フェデレーション入りしてからのレイスは、1986年に「キング・オブ・ザ・リング」を制したものの、三下にフォールを許すことも多く、決して優遇されていたとはいえません。結局、大物のレイスを矮小化することで、ワールド・レスリング・フェデレーションの力を誇示するのに利用されただけといった印象があります。レイスだけではなく、ホス・ファンク(ドリー・ファンクJr.)やリッキー・スティムボート、ダスティ・ローデスも似たような立場で、ホーガンの王座に手も届かない位置に置かれていました。それを考えると、リック・フレアーの凄さが理解できます。


○レイス(リバース・サンセット→スクールボーイによるピンフォールサンタナ×


なんだこの勝ち方は!これが元NWA王者か!と思ったらビンスの思うつぼ。



ハルク・マシン&スーパー・マシン&ビッグ・マシン vs ボビー“ザ・ブレイン”ヒーナン&キングコング・バンディ&ビッグ・ジョン・スタッド

まさかWWEでストロングマシーンズが見られるとは(笑)
今度はジャイアント・マシンも見たいなあ。


スーパー・マシンの中の人は、マスクド・スーパースターと同じ。つまり、デモリッション・アックスことビル・イーディです。
ビッグ・マシンって誰?…と思ってググったところ、ブラックジャック・マリガンだったそうです。ブラックジャックスの片割れ。バリー・ウィンダムとケンドール・ウィンダムの父。偽札…は忘れてやれ。2006年、WWE殿堂入り。
ハルク・マシンは…見たままです。
その辺の事情が丁度良くまとまっているサイトがありました。
Masked Superstar Bio


キングコング・バンディは、「レッスルマニアII」のメインにおいて、ホーガンとケージマッチで対戦しています。
AWAに所属していた頃に来日し、アントニオ猪木と賞金獲得ボディスラムマッチで試合をしています。その結果は「バンディが猪木をボディスラムで投げて賞金を獲得するも、それを喜んでいる隙に猪木が攻撃し、試合は猪木勝利」という、実にいい加減なものでした。あれは「落日の猪木」を象徴するような試合だったと思っています。
新日本プロレスの公式なニックネームは「白鯨」(巨鯨?)だったと記憶していますが、当時「ワールドプロレスリング」の実況を担当していた古舘伊知郎は、バンディを「マシュマロマン」(映画「ゴーストバスターズ」がヒットした後だった)呼ばわりしていました。


ビッグ・ジョン・スタッドは、マスクマンとして新日本プロレスに参戦していますが、それほどインパクトは残せなかったように思います。2mクラスの巨体ではありましたが、大巨人アンドレの存在に隠れて目立たなかったのです。しかし、そのアンドレとはワールド・レスリング・フェデレーションにおいてライバル関係にありました。
レッスルマニア(I)」では、アンドレと15,000ドル獲得ボディスラムマッチで対戦しています。おお、バンディとボディスラムマッチでつながっている!…でも、こちらは「投げた時点で決着」。アンドレがスタッドを投げた時点で試合は終了し、アンドレは獲得した賞金を観客席にばら撒いたのですが、その途中でヒーナンが札束の入ったカバンを強奪して逃げ帰ってオチがつきました。
レッスルマニアII」では、レスリング・フットボール合同バトルロイヤルに出場しました。NFLの“人間冷蔵庫”ことウイリアム・ペリーのタックルをスカして敗退させたものの、その後ペリーに腕を引っ張られて転落し、敗退してしまいました。ちなみに、そのバトルロイヤルにはハート・ファウンデーションも参加していました。
1989年には、ミリオンダラーマンが金で30番クジを買ったことで話題となった「ロイヤルランブル」で、デビアスを敗退させて優勝しています。バトルロイヤルに強かったんですね。
しかし、その後は華やかな舞台から遠ざかり、1995年、がんで亡くなりました。


ボビー“ザ・ブレイン”ヒーナンは、レスラーとしての実績はほとんどなく、基本的にマネージャです。「プロレススーパースター列伝」を見ていた人にとっては「空手修行で金的と目潰しだけ覚えて道場主を激怒させた男」という印象があるかもしれません。
ボビー・ヒーナン
AWAではニック・ボックウィンクルのマネージャとして活躍していましたが、この番組の司会を担当しているミーン・ジーン・オーカーランドらと同じく、ワールド・レスリング・フェデレーションに引き抜かれました。
ワールド・レスリング・フェデレーションでは常にチャンピオンに敵対する存在であり、挑戦者のマネージャを歴任して存在感を見せていました。
公式ニックネームは「ブレイン」(頭脳)でしたが、「ウィーゼル」(イタチ)とも呼ばれていました。



○ハルク(レッグドロップからピンフォール)スタッド×
※レフェリーが見ていない隙に、ダウンしていたビッグとハルクが入れ替わって反撃


マシーンズ伝統の入れ替わり戦法がオチ。「肌の色も髪の色も全然違うだろ!」とか思ったらハルク・マシンの思うつぼ。
試合後の筋肉パフォーマンスで、テレビに映らない角度で観客にだけこっそり素顔を見せていました。
なんだか見たことのあるようなシーンに感じるのは、あくまでデジャヴです。ミスター・アメリカとハルク・ホーガンは別人です。

WWEヴィンテージ・コレクション #3

1991年10月のマジソン・スクエア・ガーデン定期戦から。MSGは、WWEがまだWWWF(W3つは大丈夫、だと思う)だった頃からの聖地です。



“ネイチャーボーイ”リック・フレアー w/z ボビー・ヒーナン vs “ラウディ”ロディ・パイパー

1991年9月、NWA/WCWの看板スターだったリック・フレアーが突然ワールド・レスリング・フェデレーションに移籍しました。スティングやレックス・ルガーなどの若手をプッシュしたがっていた上層部との対立が原因であるといわれています。
その時、フレアーは個人所有していたNWA世界ヘビー級王座のベルトを持参し「リアル・ワールド・チャンピオン」を名乗りました。その後紆余曲折あって、現在WWEにおいて世界ヘビー級王座として受け継がれています。
この映像は、移籍後初めてMSGに登場した時のものだそうです。
入場テーマの「『ツァラトゥストラはかく語りき』もどき」が懐かしい。


“ラウディ”ロディ・パイパー。またの名を“ホット・ロッド”。
現在でもWWEで人気を保っているレジェンドですが、日本ではプロレスラーとしてよりも、映画「ゼイ・リブ」の主役といった方が通りが良いかもしれません。
レッスルマニア(I)」ではポール・オンドーフと組んで、ハルク・ホーガン&ミスターT(映画「ロッキー3」のサンダー・リップス役とクラバー・ラング役)組と対戦しました。「レッスルマニアII」ではミスターTとボクシングマッチで再戦。「レッスルマニアIII」では引退試合として、オカマキャラだったアドリアンアドニスと対戦しています。
(余談ですが、日本で「暴走狼」と呼ばれていたアドニスの「素肌に革ジャン」の衣装は、アメリカではハードゲイの象徴だったそうです。要はハードゲイからオカマになっただけなので、それほど劇的なキャラクターチェンジではなかったようです)
それだけの厚遇を与えられていたにもかかわらず最初の引退までタイトルには無縁でしたが、ホーガンにだけは一度もピンフォールを許しませんでした(初のピンフォール負けはWCW時代だったはず)。
なお、復帰後にはIC王座、タッグ王座を獲得しています。
また、喋りの巧さも絶品で、後のザ・ロックに影響を与えるほどのものでした。


フレアー移籍後のライバルとして、かつてミッドアトランティック地区でしのぎを削っていたパイパーが選ばれたというわけですが、この試合を見ると、パイパーの本当の凄さが分かります。
誰とやってもフレアー・ワールドに引き込むフレアーを相手にして、引きずり込まれないのが凄すぎる。
自分の世界を保ったままフレアーと試合できる人など数えるほどしかいません。ランディ・サベージ天龍源一郎ですら不可能だったのです。それを平然とやってのけるのですから、何気に恐ろしいものがあります。
パイパーは技もないし、レスリングと呼べるものを見せることはありません。しかし、「プロレスの巧さ」に関しては世界最高峰といえるレベルにあります。殴る蹴るだけでここまで魅せられる人がどれだけいるでしょうか?


○フレアー(ロープ足掛け式体固めからピンフォール)パイパー×


最後はロープ越しの椅子攻撃からロープに足を掛けての体固めで決まりましたが、フレアーの試合でこのような決まり手はそうそう見られるものではありません。
本当に凄い試合でした。個人的には「稀に見る名勝負」と評価したいくらいです。



インターコンチネンタル選手権試合 (王者)“ヒットマンブレット・ハート vs バーサーカー(挑戦者)

バーサーカー(狂戦士)は、キャラクタ的には明らかに「ブルーザー・ブロディのコピー」。ルーズソックスに雄叫びまでコピーしています。「エクライザー」の名で新日本プロレスに参戦したこともありますが、その時には「しょっぱい」という印象しか与えられませんでした。
この試合でももっさりしすぎて話になりません。いちいちスピーディなヒットマンの動きを止めるのでかったるくて仕方ありません。


※7/25追記:エクライザーではなくてビッグ・ジョン・ノード=ノード・ザ・バーバリアンだったかもしれない。エクライザーとノードは別人だったような気がしますが、もう古い話なので忘れました。どちらにしてもしょっぱいブロディのコピーであることに違いはありませんが、記憶が曖昧です。同じバーバリアンでもノードとコンガは別人であることだけは確かですが…。


○ブレット(クルーシフィックスによるピンフォールバーサーカー×



ワールド・レスリング・フェデレーション タッグチーム選手権試合 リージョン・オブ・ドゥーム(アニマル&ホーク) vs ナチュラル・ディザスターズ(アースクエイク&タイフーン) w/z ジミー・ハート

リージョン・オブ・ドゥームは、早い話がロード・ウォリアーズのワールド・レスリング・フェデレーションにおけるチーム名です。
しかし、WCWにいた頃にもこの名前が使われていたのを確認しています。対戦相手のロシアンズに“ロシアン・ナイトメア”、ウォリアーズに“リージョン・オブ・ドゥーム”というニックネームが使われていたのを確かに聞きました。


※7/25追記:「リージョン・オブ・ドゥーム」というのは、アニマル&ホーク&ポール・エラリングの3人になる前のチーム名でもあったようです。ジェイク・ロバーツやキングコング・バンディ、バズ・ソイヤーらがいたとかなんとか。その辺の話は私の知らない領域です。
12.3. Who were the Legion of Doom?


ワールド・レスリング・フェデレーション入りした頃は期待されていましたし、また扱いもそれなりに良かったのですが、一旦離脱し復帰した後はD-Xに自慢のモヒカンを刈られたり、このチームとしての最後のWWE参戦ではロブ・ヴァン・ダム&ケインに一蹴されたりと、かつての輝きは取り戻せませんでした。
2003年、ホークが心不全で亡くなった為、オリジナルのチームはもう見られません。


アースクエイクは、日本では本名のジョン・テンタ、元大相撲・幕下の琴天太/琴天山として知られています。大相撲時代は、初土俵から無敗で幕下まで昇進したという空前絶後の記録を持っています。
大相撲廃業後、全日本プロレス入りしました。
ワールド・レスリング・フェデレーションではハルク・ホーガンのライバルとして抗争を繰り広げたこともあります。
また「レッスルフェスト」二連戦(東京、神戸)では元横綱の北尾と対戦しました。ところが、神戸の試合では北尾が一方的にシュートを仕掛け、その挙げ句試合放棄した北尾が「この八百長野郎!」とマイクで罵り、プロレス界に激震が走りました。その4年後に(自主規制)

YouTube - 八百長野郎!

後にマスクを被って「ゴルガ」を名乗り「オディティーズ」の一員として活動した時が最後のレギュラー参戦だったと記憶しています。「レッスルマニアX7」ではアースクエイクとしてバトルロイヤルに出場しました。
2006年、膀胱がんで亡くなりました。


タイフーンは、このチームを結成する前は水夫キャラで「タグボート(・トーマス)」と名乗っていました。その前は「ビッグ・ババ」と名乗っていたのですが、「ビッグ・ババ・ロジャース」(後のボスマン)と紛らわしいものの別人です。
ナチュラル・ディザスター」とは「天災」の意。アースクエイク(地震)とタイフーン(台風)で揃えたというわけです。当時「テキサス・トルネード(竜巻)」もいましたが、このチームとはまったく関係ありません。


試合の方は、NDがLODを終始圧倒していました。LODの腕力が通用しないほどの巨漢二人を相手にして苦戦し、デビュー当時の圧倒的なパワーは微塵も感じられませんでした。それだけNDが大きすぎるということなのでしょう。ホークなどまるでクルーザー級です。


○LOD(レフェリー暴行による反則)ND×


YouTube - 1991.12.12 SWS&WWF L.O.D VS Natural disasters?
この映像では日本での試合ということもあり、タイフーンが花を持たせています。

WWEヴィンテージ・コレクション #2

1988年4月 バッドニュース・ブラウン vs ブレット“ヒットマン”ハート

「バッドニュースにグッドニュースだ」で有名な?バッドニュース・ブラウン。日本ではバッドニュース・アレンとして知られています。
元々柔道選手で、モントリオールオリンピックでは銅メダルを獲得したほどの実力者です。日本で柔道修行していたということもあり、坂口征二との柔道ジャケットマッチをきっかけにプロレス入りしました。
ワールド・レスリング・フェデレーションにおいては、「サバイバー・シリーズ」のイリミネーション・マッチで「二年連続仲間割れして試合放棄(カウントアウト負け)」という偉業も達成しています。


ヒットマン”の二つ名で知られるブレット・ハートは、カルガリーを拠点とした「スタンピート・レスリング」の主宰者、スチュ・ハートの六男。「ハート家の兄弟は下に行くほどセンスがある」と言われていましたが、最終的には弟のオーエンよりもブレットの方が出世しました。
新日本プロレスに参戦していた頃はダイナマイト・キッドの陰に隠れて目立ちませんでしたが、ワールド・レスリング・フェデレーションでは姉の婿であるジム・ナイドハートとのタッグチーム「ハート・ファウンデーション」としてタッグ戦線で活躍し、その後シングルプレイヤーとしてブレイクし、5度にわたってワールド・レスリング・フェデレーション王者となりました。
WWEにおいては「モントリオール事件」の一方の主役として、今でも話題に上る存在です(「モントリオール事件」の経緯は、映画「レスリング・ウィズ・シャドウズ」で詳しく触れられています)。ショーン・マイケルズが今でもカナダに行くと「お前がブレットをハメた」と言われるのは、その事件によるものです。
ブレットの妻は「次はあなたの番よ、ハンター」と冷たく言い放ちましたが、その後ブレットは離婚し、ハンターさんはビンスの娘ステファニーと結婚しました。
決め台詞は"The best there is, the best there was, and the best there ever will be"(現在、過去、未来においても俺が最高だ)


この試合では、ヒットマンらしさが随所に出ていました。
受けに回れば相手の攻撃をまともに食らい、攻勢に出れば「ヒットマン」の二つ名に相応しい鋭角的な打撃を見せつつ、自分は怪我をせず、相手にも怪我をさせないという芸術的な試合運びが堪能できます。


△ブレット(20分時間切れ引き分け)ブラウン△


今ではめったに見られない「時間切れ引き分け」。日米レスリングサミットの三沢タイガー戦でも時間切れ引き分けでしたし、ブレットは時間切れ引き分けの名手だったのでしょうか?
ほかに時間切れ引き分けといえば、“スタニング”スティーブ・オースチンダスティン・ローデスWCW TV選手権試合が思い出されます。
そのオースチンを引き上げたのがブレット。ショーン・マイケルズとは犬猿の仲でしたが、その最大のライバルともいえるストーンコールドをスーパースターへの道に招き入れたのはブレットだったのです。


1988年4月 ワールド・レスリング・フェデレーション世界ヘビー級選手権試合 (王者)“マッチョマン”ランディ・サベージ w/z エリザベス vs “ミリオンダラーマン”テッド・デビアス w/z バージル(挑戦者)

レッスルマニアIV」で行われた王座争奪トーナメントの再戦。そのトーナメントが行われたのは、デビアスアンドレから金で王座を買おうとした為、王座が剥奪されたことがきっかけでした。


テッド・デビアスは、日本においては世界最強タッグリーグ戦に参戦して優勝したり、復帰後いきなり世界タッグ王座を取ったりと結構活躍しているのですが、どちらかというと「スタン・ハンセンのパートナー」としか見られていなかった感もあります。しかし、若かりし頃はリック・フレアー、グレッグ・バレンタインと並び「時期NWA王者」として期待されていた存在です。
ワールド・レスリング・フェデレーションでは“ミリオンダラーズ・マン”(100万ドルの男)、億万長者のキャラクタでヒールサイドのトップとして長く活躍し、後にIRS(マイク・ロトンド)との「マネー・インク」というチームでタッグ王者となっています。
また、ワールド・レスリング・フェデレーションに移籍した当初の“リングマスター”スティーブ・オースチンのマネージャでもありました。
最近息子が同じ名前でデビューしたのですが、その付き添いで姿を見せていました。いくらビンスが「Jr嫌い」だからといっても、同じ名前の人が二人同時に登場したのではややこしくて仕方ありません。かといって「テッド・クラシック」というのもどうかと思いますし、やはり「ミリオンダラーマン」と呼ぶしかないのでしょうか。


この試合の見所は、デビアスのエルボードロップ自爆から、サベージのブーメラン→ダブルアックスハンドルにわたる三度の「後方回転受け身」。後方回転受け身をさせたらロック様かデビアスかというくらいで、やられているシーンではありますが、大きな見せ場でもありました。


デビアスバージル介入による場外転落→カウントアウト)サベージ×
※カウントアウトの為、規定により王座移動せず


1988年4月 デモリッション(アックス&スマッシュ) w/z ミスター・フジ vs ストライク・フォース(ティト・サンタナ&リック・マーテル)

遠目だとサンタナとマーテルの見分けがつかない。


リック・マーテルは、日本で大物視されていた時代もありました。その理由は、なんといっても「ジャンボ鶴田からAWA王座を奪った」「リック・フレアーとNWA・AWA王座統一戦を行った」という実績によるものです。
ワールド・レスリング・フェデレーションではさほど優遇されていたとはいえず、ストライク・フォースとしてタッグ王者になっただけですが、シングルプレーヤーになってから“ザ・モデル”を名乗り、毎回コスプレをして地味に活躍し、日本のUHF局でたまに放送される海外プロレス番組のオープニングを飾っていたりもしていました。
個人的には、マニアツアー@大阪城ホールロイヤルランブルで、ボブ・バックランドと絡んだシーンが強く印象に残っています。マーテルは、ショーン・マイケルズが職場放棄した為、その代役として参戦したのですが、元ワールド・レスリング・フェデレーション王者と元AWA王者の絡みはなかなか興味深いものがありました。
余談ですが、そのランブル戦ではボブさんが大活躍したものの、優勝者はその頃昇天していたはずのアンダーテイカでした。


ティト・サンタナは、80年代末から90年代初にかけて「ゆかいなキャラクター大集合」状態になっていたワールド・レスリング・フェデレーションにおいて“エル・マタドール”のキャラクタを付与されていたのですが、そのことから分かるようにヒスパニック系です。
これより前にインターコンチネンタル王座を獲得したこともあるのですが、個人的にはどちらかというと「前座の人気者」というイメージを持っていました。80年代前半、スヌーカやバックランドの時代にはまた違った評価だったのかも知れません。
そのスヌーカとタッグを組んで「日米レスリングサミット」で小橋&渕と対戦したこともあります。サンタナはワールド・レスリング・フェデレーションにおいては小柄な方でしたが、それでも当時の日本人選手と比べるとかなり体格が良くて驚いた覚えがあります。
その試合の映像。
WWF/AJPW - Snuka & Santana vs Kobashi & Fuchi


○スマッシュ(フジさんのステッキ殴打からピンフォールサンタナ×


バンザーイ!サヨナラ

ミリオンダラーマニアの曲

YouTube - McMahon Million Dollar Mania [FULL + RARE]

どうもO'Jaysの「For The Love Of Money」という曲が原曲のようですが、WWEで使われているものはアレンジされたものなのでしょうか?


その「For The Love Of Money」の映像。
YouTube - O'Jays - For The Love Of Money 1974 Live
この人たちが歌っているのを見ると、どちらかというとクライム・タイムの方を思い出してしまいます。


ミリオンダラーマニアという企画は、3週遅れで放送されている日本の視聴者には無意味なのでやめてほしい。
USAネットワークで数字が取れたらそれでいいのか?(CWの視聴者にも無関係だし)
ビンスは「それでいいのだ」と開き直りそうですが。