WWEヴィンテージ・コレクション #3

1991年10月のマジソン・スクエア・ガーデン定期戦から。MSGは、WWEがまだWWWF(W3つは大丈夫、だと思う)だった頃からの聖地です。



“ネイチャーボーイ”リック・フレアー w/z ボビー・ヒーナン vs “ラウディ”ロディ・パイパー

1991年9月、NWA/WCWの看板スターだったリック・フレアーが突然ワールド・レスリング・フェデレーションに移籍しました。スティングやレックス・ルガーなどの若手をプッシュしたがっていた上層部との対立が原因であるといわれています。
その時、フレアーは個人所有していたNWA世界ヘビー級王座のベルトを持参し「リアル・ワールド・チャンピオン」を名乗りました。その後紆余曲折あって、現在WWEにおいて世界ヘビー級王座として受け継がれています。
この映像は、移籍後初めてMSGに登場した時のものだそうです。
入場テーマの「『ツァラトゥストラはかく語りき』もどき」が懐かしい。


“ラウディ”ロディ・パイパー。またの名を“ホット・ロッド”。
現在でもWWEで人気を保っているレジェンドですが、日本ではプロレスラーとしてよりも、映画「ゼイ・リブ」の主役といった方が通りが良いかもしれません。
レッスルマニア(I)」ではポール・オンドーフと組んで、ハルク・ホーガン&ミスターT(映画「ロッキー3」のサンダー・リップス役とクラバー・ラング役)組と対戦しました。「レッスルマニアII」ではミスターTとボクシングマッチで再戦。「レッスルマニアIII」では引退試合として、オカマキャラだったアドリアンアドニスと対戦しています。
(余談ですが、日本で「暴走狼」と呼ばれていたアドニスの「素肌に革ジャン」の衣装は、アメリカではハードゲイの象徴だったそうです。要はハードゲイからオカマになっただけなので、それほど劇的なキャラクターチェンジではなかったようです)
それだけの厚遇を与えられていたにもかかわらず最初の引退までタイトルには無縁でしたが、ホーガンにだけは一度もピンフォールを許しませんでした(初のピンフォール負けはWCW時代だったはず)。
なお、復帰後にはIC王座、タッグ王座を獲得しています。
また、喋りの巧さも絶品で、後のザ・ロックに影響を与えるほどのものでした。


フレアー移籍後のライバルとして、かつてミッドアトランティック地区でしのぎを削っていたパイパーが選ばれたというわけですが、この試合を見ると、パイパーの本当の凄さが分かります。
誰とやってもフレアー・ワールドに引き込むフレアーを相手にして、引きずり込まれないのが凄すぎる。
自分の世界を保ったままフレアーと試合できる人など数えるほどしかいません。ランディ・サベージ天龍源一郎ですら不可能だったのです。それを平然とやってのけるのですから、何気に恐ろしいものがあります。
パイパーは技もないし、レスリングと呼べるものを見せることはありません。しかし、「プロレスの巧さ」に関しては世界最高峰といえるレベルにあります。殴る蹴るだけでここまで魅せられる人がどれだけいるでしょうか?


○フレアー(ロープ足掛け式体固めからピンフォール)パイパー×


最後はロープ越しの椅子攻撃からロープに足を掛けての体固めで決まりましたが、フレアーの試合でこのような決まり手はそうそう見られるものではありません。
本当に凄い試合でした。個人的には「稀に見る名勝負」と評価したいくらいです。



インターコンチネンタル選手権試合 (王者)“ヒットマンブレット・ハート vs バーサーカー(挑戦者)

バーサーカー(狂戦士)は、キャラクタ的には明らかに「ブルーザー・ブロディのコピー」。ルーズソックスに雄叫びまでコピーしています。「エクライザー」の名で新日本プロレスに参戦したこともありますが、その時には「しょっぱい」という印象しか与えられませんでした。
この試合でももっさりしすぎて話になりません。いちいちスピーディなヒットマンの動きを止めるのでかったるくて仕方ありません。


※7/25追記:エクライザーではなくてビッグ・ジョン・ノード=ノード・ザ・バーバリアンだったかもしれない。エクライザーとノードは別人だったような気がしますが、もう古い話なので忘れました。どちらにしてもしょっぱいブロディのコピーであることに違いはありませんが、記憶が曖昧です。同じバーバリアンでもノードとコンガは別人であることだけは確かですが…。


○ブレット(クルーシフィックスによるピンフォールバーサーカー×



ワールド・レスリング・フェデレーション タッグチーム選手権試合 リージョン・オブ・ドゥーム(アニマル&ホーク) vs ナチュラル・ディザスターズ(アースクエイク&タイフーン) w/z ジミー・ハート

リージョン・オブ・ドゥームは、早い話がロード・ウォリアーズのワールド・レスリング・フェデレーションにおけるチーム名です。
しかし、WCWにいた頃にもこの名前が使われていたのを確認しています。対戦相手のロシアンズに“ロシアン・ナイトメア”、ウォリアーズに“リージョン・オブ・ドゥーム”というニックネームが使われていたのを確かに聞きました。


※7/25追記:「リージョン・オブ・ドゥーム」というのは、アニマル&ホーク&ポール・エラリングの3人になる前のチーム名でもあったようです。ジェイク・ロバーツやキングコング・バンディ、バズ・ソイヤーらがいたとかなんとか。その辺の話は私の知らない領域です。
12.3. Who were the Legion of Doom?


ワールド・レスリング・フェデレーション入りした頃は期待されていましたし、また扱いもそれなりに良かったのですが、一旦離脱し復帰した後はD-Xに自慢のモヒカンを刈られたり、このチームとしての最後のWWE参戦ではロブ・ヴァン・ダム&ケインに一蹴されたりと、かつての輝きは取り戻せませんでした。
2003年、ホークが心不全で亡くなった為、オリジナルのチームはもう見られません。


アースクエイクは、日本では本名のジョン・テンタ、元大相撲・幕下の琴天太/琴天山として知られています。大相撲時代は、初土俵から無敗で幕下まで昇進したという空前絶後の記録を持っています。
大相撲廃業後、全日本プロレス入りしました。
ワールド・レスリング・フェデレーションではハルク・ホーガンのライバルとして抗争を繰り広げたこともあります。
また「レッスルフェスト」二連戦(東京、神戸)では元横綱の北尾と対戦しました。ところが、神戸の試合では北尾が一方的にシュートを仕掛け、その挙げ句試合放棄した北尾が「この八百長野郎!」とマイクで罵り、プロレス界に激震が走りました。その4年後に(自主規制)

YouTube - 八百長野郎!

後にマスクを被って「ゴルガ」を名乗り「オディティーズ」の一員として活動した時が最後のレギュラー参戦だったと記憶しています。「レッスルマニアX7」ではアースクエイクとしてバトルロイヤルに出場しました。
2006年、膀胱がんで亡くなりました。


タイフーンは、このチームを結成する前は水夫キャラで「タグボート(・トーマス)」と名乗っていました。その前は「ビッグ・ババ」と名乗っていたのですが、「ビッグ・ババ・ロジャース」(後のボスマン)と紛らわしいものの別人です。
ナチュラル・ディザスター」とは「天災」の意。アースクエイク(地震)とタイフーン(台風)で揃えたというわけです。当時「テキサス・トルネード(竜巻)」もいましたが、このチームとはまったく関係ありません。


試合の方は、NDがLODを終始圧倒していました。LODの腕力が通用しないほどの巨漢二人を相手にして苦戦し、デビュー当時の圧倒的なパワーは微塵も感じられませんでした。それだけNDが大きすぎるということなのでしょう。ホークなどまるでクルーザー級です。


○LOD(レフェリー暴行による反則)ND×


YouTube - 1991.12.12 SWS&WWF L.O.D VS Natural disasters?
この映像では日本での試合ということもあり、タイフーンが花を持たせています。