(余談)スローター四方山話

「サージェント」(Sgt.)とは「軍曹」の意味。「スローター軍曹」です。
元は70年代のスターだったのですが、最も注目を集めたのは1991年の事でした。
1990年8月のイラクによるクウェート侵攻以来、ブッシュパパの強硬姿勢により全米が反イラク一色となり、サッダーム・フセイン大統領は全米で最も憎まれている人物となっていました。
そんな中、「ジェネラル・アドナン(アドナン将軍)ことアドナン・フセイン」を名乗る人物(旧名シーク・アドナン・アルケーシー)がWWEに姿を現しました。
フセイン大統領直属のアドナン将軍は、米軍人のスローターをそそのかしてイラク側に寝返らせてしまいました。


憎きイラクを倒すのは、我らがアメリカンヒーロー、ハルク・ホーガンが適任です。
ハルクスターによる裏切り者スローターの制裁は「レッスルマニア7」の目玉に相応しいカードであると思われました。
そして「完全決着」を印象づける為には、ホーガンがスローターを倒して王座を奪還することが最も効果的です。
また、当時チャンピオンだったアルティメット・ウォリアーは、ホーガンに代わるトップとしては技量も風格も不足していた為、ウォリアーからホーガンへ王座を移動させたいという団体サイドの意向もありました。
かといって、両者ともベビーフェイスであり、直接対決は既に前年に行われていたことから、もう一度対戦させることは困難です。
そこで、誰か適当なヒールに一旦王座を移動させ、その新王者にホーガンが勝利することで王座をスムーズに移動させることを企図し、その緩衝役として選ばれたのがスローターでした。
(ボブ・バックランド→ハルク・ホーガンの時にアイアン・シークに一旦移動させたのと同じ)


ところが厄介なことに、タイトルマッチが予定されていた「ロイヤルランブル」開催日(1月19日)の直前に、湾岸戦争が勃発(1月17日)してしまったのです。
スローターは予定通りワールド・ワイド・フェデレーション王座を獲得しました。
しかし、湾岸戦争絡みのストーリーは時節柄あまりにも不謹慎だと批判されており、テロの標的となる危険性もありました。
そして「レッスルマニア7」の開催が予定されていたロサンゼルス・オリンピックスタジアムでは安全を保証できないとの判断が下され、2万人規模の会場に場所を移して開催されることになりました。
(チケットは1年前から売り出されていたのに収容人員が少ない会場に移ったことから考えると、チケットの売れ行きが芳しくなかったことも理由の一つなのかも知れません)


レッスルマニアの試合はグダグダだったものの、とりあえずホーガンが王座を奪い返してめでたしめでたし…とはいきませんでした。
アイアン・シークが「カーネル・ムスタファ」(ムスタファ大佐)を名乗り、スローターのタッグパートナーとなったのです。
「大佐」を名乗ったのは、当時反米強硬派として有名だったリビアカダフィ大佐をイメージしたのではないかと思われます。但し、シーク本人はオリンピック出場経験もある正真正銘のイラン人です。
(後で考えたら、サージェント・クルーガー&カーネル・デクラークというタッグチームもありましたので、英語圏ではサージェントとカーネルはセットで扱われることが多いのかも知れません)
実際の戦争にリンクしていることで顰蹙を買っていたわりに、このストーリーは8月の「サマースラム」まで引っ張られました。その頃湾岸戦争はとっくに終わっていました。
その後アドナンとスローターは喧嘩別れし、アドナン側に付いたムスタファとスローターの抗争を最後にストーリーは終結しました。