VS ハルク・ホーガン

1990年1月「ロイヤルランブル」。ホーガンとウォリアーは、30人時間差バトルロイヤルに出場したのですが、その場にいた他のレスラーを全員落としたことで、初めて一対一で対峙することとなりました(二人に片付けられたその他大勢の中にショーン・マイケルズの姿が…)。次の選手がすぐに入ってきたので時間は短かったものの、この時“無敵の超人ハルク・ホーガン”の立場を脅かす者として、ウォリアーの存在が浮上したのです。この時はホーガンが優勝したのですが、これに前後してウォリアーはホーガンを意識した発言を繰り返していました。
そして、ジャック・タニー会長(経営者ではなく、興行団体としてのWorld Wrestling Federationの会長。現在のゼネラル・マネージャみたいなもの)の裁定により、WWE史上初となるWWE王者とIC王者のダブルタイトルマッチが組まれました。ベビーフェイス(善玉)のトップ同士の対戦がビッグイベントのメインになることなど、それまで一度もありませんでした。ホーガンとアンドレが対決した時はアンドレがヒール(悪玉)に転向しています。この決定は、半ば驚きを持って、半ば当然あるべき世代交代への挑戦として受け止められました。


決戦の場は、トロントスカイドームで開催される「レッスルマニア VI」。絶対的なスーパースターのホーガンと、日の出の勢いのウォリアーの直接対決。この試合がどんな展開になるのか、おそらく誰にも予想できませんでした。
レッスルマニアのメインで二人のスーパースターが直接対決するというシチュエーションが過去になかったということと、ホーガンとウォリアーのスタイルが噛み合うのかどうかということがポイントで、大凡戦になる可能性もあるかも知れないというリスクを背負った大きな賭けだったのです。


試合は意外なほど噛み合い、ウォリアーのレスラー人生の中でもトップクラスの名勝負となりました。
私はこの試合をビデオで見ました。結果は既に分かっていました。しかし、それでも序盤の手に汗握る攻防にハラハラし、めまぐるしく変わる展開にワクワクしながら見ていました。結果が分かっていても面白い試合は面白いのだということを、これを見て初めて理解しました。この試合を見ていなかったら、私は今の今までWWEファンを続けているということはなかったでしょう。それほど素晴らしい名勝負だったのです。


この試合に勝ったのはウォリアー。新WWE王者として、遂にプロレス界のトップに立ったのです。
ホーガンは「試合結果もベルトを渡すことも全て承知していた。観客が新王者に歓声を送る中、リングを去ることも分かっていた。だがやはり後味は悪い。」と、これまたぶっちゃけ過ぎ発言。自分が負けるのが嫌だったというのもあるのでしょうが、力量のないレスラーに負けなければならないということが一番の屈辱だったのだと思われます。