YouTubeより シェイン・マクマホン レフェリー時代の映像

Jimmy Snuka & Tito Santana vs Kenta Kobashi & Masanobu Fuchi


「日米レスリングサミット」の映像がアップされています。
ジミー・スヌーカ&ティト・サンタナ vs 渕正信&小橋健太(現・小橋建太)」という、今となっては信じられないような組み合わせ。
当時は小橋選手も現在のような鍛え上げられた体ではなく、WWEでは小柄な部類に入るサンタナ&スヌーカに対してすらはるかに見劣りします。
身長では負けていないものの、線が細いのでかなり小さく見えてしまいます。
この時の体験が小橋選手に強い影響を与え、今のような強靱な体を作り上げたのではないか…と、私はそう考えています。


選手も今となっては絶対に見られない組み合わせなのですが、最も注目すべきポイントはこの試合を裁くレフェリー。
シェイン・マクマホン。ビンセント・K・マクマホンの息子、シェイン・オ・マックです。


シェインは、当時(これは1990年の映像)レフェリーを務めながらこの業界のことを学んでいました。
選手としてリングに上がったのはもっと後になりますし、日本で試合することもないのですが、レフェリーとしてはリングに上がっていたのです。
この事実はファンには広く知られていましたが、当時のいかにも育ちの良いお坊ちゃん風の顔立ちを見て、あれほど激しい試合ができるようになると想像した人はおそらくいないでしょう。
1994年の「マニアツアー」の失敗を経て、2002年3月1日の横浜アリーナで爆発的な盛り上がりを見せた会場を見渡した時、シェインは何を思ったのでしょうか?


ビンスは、シェインが現場の仕事を通じて選手や社員の気持ちを知り、世襲のボンボンではなく現場のことを理解している優れた経営者となることを期待していたのではないでしょうか。