プロレスクラシック G.C.C海外シリーズ

G+で放送された「プロレスクラシック」。
昭和58年に全日本プロレスが海外遠征した時の模様が放送されました。



昭和58年6月12日 ジョージア州サバンナ シビックセンター

テリー・ファンク vs ブレット・ハート

対戦カードを見たときには「おおっ、ヒットマンとテリーの試合か!」と驚いたものの、どうやらブレットは同姓同名の別人だったようです。というか「フレッド・ハート」だったりしませんか?
テリーは日本以外では一貫してヒールでしたから、選手コールや勝ち名乗りの時にブーイングが飛んでいました。倉持さんは日本のイメージに合わせて「正義感が強い」と言っていましたが、観客の反応とはギャップがありました。


○テリー(スピニング・トーホールドによるタップアウト)ハート×



ジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコ vs “カウボーイ”ボブ・オートンJr&“ブギウギマン”ジミー・バリアント

ジャック・ブリスコは元NWA王者で、馬場とのタイトルマッチは名勝負と言われているようです。私は見ていませんが。
ジェラルド(ジェリー)・ブリスコはWWEのエージェントとして有名です。かつてはパット・パターソンと一緒にバカキャラを演じていました。個人DVDなどでもよくコメントしているので、現在のファンにもよく知られているはずです。
オートンJrは、言わずと知れた「オートンパパ」。ランディ・オートンの父親です。
ジミー・バリアントは、WWEでは悪役としてジョニー・バリアントとのタッグで活躍し、タッグ解消後は音楽系キャラで妙に観客受けしていたレスラーです。
倉持さんがオートンパパの「若さ」を強調していたのが時代を感じさせます。また、ブリスコ兄弟を「正統派」としていたのは当時のプロレス観を表していて興味深いものがありました。ブギウギマンのキャラクタも今でこそ普通に受け入れられますが、当時の視聴者には違和感があったものと思われます。


○ジョニー(合体スープレックスからピンフォール)オートン×



USヘビー級選手権試合 (王者)グレッグ・バレンタイン vs “ネイチャーボーイ”リック・フレアー(挑戦者)

若かりし頃のネイチ登場。6月10日、ハリー・レイスに敗れてNWA王座を失った後だったとのこと。この時レイスはルー・テーズの6度を超える7度目の戴冠を果たしたわけですが、その後フレアーは実に14度ものNWA/WCW王座獲得を果たしています。
当時、グレッグとフレアーはライバル関係にあり、グレッグも将来のNWA王座獲得は間違いないと言われていたようですが、結局一度も取れませんでした。余談ですが、フレアーが飛行機事故に遭ったとき、グレッグの父ジョニーも同乗しており、ジョニーは車椅子での生活を余儀なくされたものの、フレアーは再起不能といわれる重傷を負いながらも奇跡的に復活したという話があります。
当時のフレアーはプラチナブロンドの長髪が売りで、しかも毎試合のように額から流血していました(今でもギザギザが残っていますね)。試合が進むにつれて金髪が血に染まっていく光景は、ある種の美しささえ感じさせるものでした。


○グレッグ(ベルト殴打による反則)フレアー×
※グレッグ王座防衛


先にベルトを使ったのはグレッグですが、フレアーはリング内でベルトを奪って攻撃し、それを見たレフェリーが試合を止めました。この裁定から分かるように、当時のフレアーはベビーフェイスだったわけです。但し、反則負けでも王座は移動しないので、グレッグの負けでも良かったのではないかと思いますが。
フレアーは悪役王者の印象が強いのですが、ベビーフェイス扱いになっていた期間も結構あったようです。



昭和58年6月17日 テキサス州ダラス リユニオン・アリーナ

チャボ・ゲレロ&ホセ・ロザリオ&クリス・アダムス vs フィッシュマン&ビル・アーウィン&モンゴル

チャボ・ゲレロは、言わずと知れた「チャボ・クラシック」。チャボ・ゲレロ(Jr)の父親で、故エディ・ゲレロの兄です(チャボは長兄、エディは末弟)。
ロザリオはショーン・マイケルズの師匠として知られています。
アダムスは“ストーンコールド”スティーブ・オースチンの師匠にして、HBKの得意技スーパーキックの元祖です。
つまり、このチームは後のWWEの礎を築いた人物ばかりが集まっていたといえます(アダムスみたいに踏み台で終わるのもどうかとは思いますが…)。
フィッシュマンは初代タイガーマスクと対戦したこともあるマスクマン。
アーウィンは日本では二段蹴りを使うカウボーイキャラとして、WWEではアイスホッケーキャラの「ザ・グーン」として、どちらも「滑った」ことで逆に印象に残っているレスラーです。
モンゴルは…誰?昔、ちょっと見ただけなのでほとんど覚えていませんが、モンゴリアン・ストンパーですかね?
つまり、このチームはB級レスラーばかりが集まっていたといえます。


○チャボ(クロスボディからピンフォール)モンゴル×



テキサス・ヘビー級王者決定戦 デビッド・フォン・エリック vs “ゴージャス”ジム・ガービン w/z サンシャイン

最初勘違いして元NWA王者のロン・ガービンかと思ってしまい、雰囲気が違っていたので一瞬驚きましたが、よく見たらフリーバーズとつるんでいたジミー・ガービンでした。
デビッドは地元ダラスのプローモーター、鉄の爪フリッツ・フォン・エリックの三男。次男がケビン、四男が“テキサス・トルネード”ことケリー。長男は幼い頃に感電事故で亡くなっています。後にデビッドも来日中に急性薬物中毒で亡くなります。更に、ケリーも拳銃自殺。弟のマイクもクリスも自殺。フリッツは隆盛を誇ったダラス地区が崩壊し(World Wrestling FederationとWCWの興行戦争に巻き込まれた)、莫大な負債を抱えたまま失意のうちに世を去りました。今残っているのはケビンだけですが、めったに姿を見せません。まさに「呪われた一家」。


○ガービン(体固めによるピンフォール)デビッド×
※サンシャインがデビッドの足を押さえる
※ガービンが新王者に



PWF認定ヘビー級選手権試合 (王者)ジャイアント馬場 vs キングコング・バンディ

猪木とバンディのボディスラムマッチは昭和60年。この試合は昭和58年。つまり、猪木の2年前に馬場がシングルで闘っていたということになります。WWEでは「レッスルマニア2」のメイン、ホーガンとの金網戦が有名です。
この試合で凄いと思ったのは、馬場が巨大なバンディを相手にしても体格負けしていなかったことです。真正面からやり合っても全然押されない馬場の姿は頼もしく、かつての人気も頷けます。


○馬場(十六文キックからピンフォール)バンディ×
※馬場PWF王座防衛



NWA世界ヘビー級選手権試合 (王者)“ハンサム”ハリー・レイス vs ケビン・フォン・エリック(挑戦者)

地元のスター、ケビンがNWA王座に挑戦。今となっては、彼にもう少し大きな体格があり、もう少し経営センスがあればと思わずにはいられません。
レイスは前述の通りNWA王座を奪還したばかり。NWA王座を失った後、WWEに移籍したものの、大口を叩くだけのヘタレと化して嘆かわしい姿を見せていました。この試合でも大袈裟なゼスチャーが鼻に付き、お世辞にもベーシックスタイルとはいえませんし、ショーマンとしても中途半端ですし、受身ももっさりしていて巧いとはいえませんし、あの馬鹿臭いスタイルのどこが良かったのか、私には未だに理解できません。
ケビンもフリッツの息子としてブレーンクローにこだわりたい気持ちは分かりますが、どう見ても体が大きいとはいえないケビンには向かない技です。クローはデビッドとケリーに任せ、自分はもっと動き回るスタイルを追求したほうが良かったのではないかと思います。実際、スピードのある攻撃には見応えがありました。今更言っても詮無いことですが…。


○レイス(デビッド乱入による反則)ケビン×
※レイス王座防衛



アメリカン・タッグ選手権試合 (王者)ファビュラス・フリーバーズ(マイケル・ヘイズテリー・ゴディ) vs ブルーザー・ブロディ&ケリー・フォン・エリック(挑戦者)

いやぁ、マイケル・ヘイズは格好いいなあ。サザンロックの世界です。WWEではエージェントの一人として知られています。
ゴディは全日本プロレスのトップ選手として活躍しました。WWEでの実績はありませんが、WCWではスティーブ・ウィリアムスと組んでタッグ王座を獲得しました。
ヘイズとゴディではまるでタイプが違いますし、実際袂を分かつことになるのですが、プライベートではゴディが亡くなるまでずっと親友だったようです。、ゴディ、ヘイズがオリジナルのフリーバーズで、後にバディ・ロバーツやジミー・ガービンが加わり、ゴディがWCWを去ってからはヘイズとガービンのコンビとなりました。
ケリーはデビットの死後、フレアーからNWA王座を奪取しました。後にバイク事故で片足を失い、そのことを隠したまま義足で試合をしていました。WWEでは「テキサス・トルネード」のリングネームで活躍し、インターコンチネンタル王座を獲得しました。父譲りのブレーンクローの他、学生時代の円盤投げの経験を生かしたディスカス・パンチを得意としていました。
ブロディは…説明するまでもないでしょう。この試合でもド迫力のパワーファイトを展開し、実に見応えがありました。やはり素晴らしいレスラーです。
なんとこの中の3人が既にこの世を去っています。ケリーは前述の通り自殺、ゴディは心臓病、そしてブロディは刺殺。世の中の無常を感じます。


○ケリー(クロスボディからピンフォール)へイズ×
※ブロディがケリーを抱え上げ、ヘイズに向けて投げる
※ケリー&ブロディが王座獲得



総括

今のアメリカンプロレスと比べると実に牧歌的で、懐かしく見させてもらいました。かつてのダラスではこういったシンプルなスタイルが受けていたわけです。JBLのスタイルは間違いなく当時のテキサス流を色濃く受け継いでいます。
WWEはNY的にショーアップされた、殴る蹴る中心の分かりやすい攻防が中心です。TVで受けるのはやはりこちらでしょう。テキサス流は、ライブはいいとしてもTVを通すとじじむさく感じられます。南部の流れを汲むWCWが長い間WWEに圧倒されていたのも当然かと思われます。WWEがTVと共に全米を制覇したのも、この試合を見れば納得できるというものです。WCWWWEに対抗できるようになったのも、NYのスターを前面に押し出し、TV映えするショーを見せ始めてからです。NYという街が持っている力というものを改めて感じました。