WWEヴィンテージ・コレクション

J SPORTSWWEの昔の映像を流す「WWEヴィンテージ・コレクション」という番組が始まりました。
http://www.jsports.co.jp/search/sys/kensaku.cgi?Genre2=0701



1988年8月 ザ・デモリッション(アックス&スマッシュ) w/z ミスター・フジ vs ロッカーズ(ショーン・マイケルズ&マーティ・ジャネッティ)

第1回のオープニングに相応しい…とは思えない、渋めの対戦カード。
1988年だとデモリッション、ストライク・フォース、ブリティッシュブルドッグスあたりが王者クラスで、ロッカーズはその下くらいだったと思うのですが…。


デモリッションは、NWAで人気があったザ・ロード・ウォリアーズのパクリのようなタッグチーム。髪型からしてまんまパクリとしか言いようのないパワーズ・オブ・ペインとパクリ同士で抗争したこともあります。
アックスはマスクド・スーパースター、スマッシュはクラッシャー・クルスチェフ(ロシアンズ)として来日した経験もありました。デモリッションとしては「日米レスリングサミット」で、ジャイアント馬場アンドレ・ザ・ジャイアント組と対戦しています。

ロッカーズは、今で言えばポール・ロンドン&ブライアン・ケンドリックのようなアイドルチームでした。というより、こちらもNWAのロックンロール・エクスプレスのパクリだったのですが。
ショーン・マイケルズは言わずと知れたショー・ストッパー。マーティは…。


○スマッシュ(アックスのロープ越しクローズラインからピンフォール)ジャネッティ×


※7/7追記:
ミスター・フジは殿堂者。山高帽にステッキ、コンニチハ、バンザイ、サヨナラの典型的ジャップでした。日系人ではありますが、日本語はほとんど話せません。


タッグ屋といえば、忘れちゃいけないハート・ファンデーション(ブレット“ヒットマン”ハート&ジム“ジ・アンビル”ナイドハート)。アンビルの娘のナタリヤが現在WWEで活躍中です。
ブレーン・バスターズ(アーン・アンダーソン&タリー・ブランチャード)もいました。何を隠そう(隠す必要もない)私はタリーの大ファンでした。タリーを見たいがために「無我」旗揚げ戦を見に行ったくらいです。藤波を相手にアメプロ臭丸出しの試合をやってのけていたのを見て私は大喜びしていましたが、明らかに場の空気には馴染んでいませんでした。藤波も何を考えてタリーのような典型的アメリカンヒールを無我という場に呼んだのでしょうか?



1999年1月 ジ・アンダーテイカー w/z ブラザー・ラブ vs “スーパーフライ”ジミー・スヌーカ

ポール・ベアラーではなくブラザー・ラブ(ブルース・プリチャード)がマネージャだった頃の映像です。
スヌーカは確かレッスルマニアでもテイカーの噛ませ犬にされていたような…。80年代前半は大人気だったのに。
今より動きがゆっくりで使う技も少ないテイカーは、今見ると違和感があります。わざとゆっくり動くのは意外に大変なのかもしれません。
この頃のテイカーを見て、誰が今のような重鎮になると予想したでしょうか?多分、本人も予想していなかったと思います。


○テイカー(ツームストーン・パイルドライバーからピンフォール)スヌーカ×



1988年10月 ワールド・レスリング・フェデレーション世界ヘビー級選手権試合 “マッチョマン”ランディ・サベージ w/z エリザベス vs アンドレ・ザ・ジャイアント w/z ボビー“ザ・ブレイン”ヒーナン

斎藤文彦さんなら「エリちゃん、若い!」と言うでしょうか。まだ清楚なイメージがあった頃のエリザベス登場です。あんな(自主規制)だったとは。だいたい、なんでルガーなんかと…。
そして当時からフサフサのサベージ。もっとフサフサのハワード・フィンケル。
入場テーマのないアンドレの入場も今見るとかえって新鮮です。日本では「ジャイアント・プレス」が有名でしたが。

1988年10月だと、ホーガンとサベージが組み、アンドレテッド・デビアスと抗争を繰り広げていた頃です。「レッスルマニアIV」から1年掛けてサベージとホーガン、エリザベスを中心としたドラマが展開され、「レッスルマニアV」で両雄が激突することになります。更にその抗争は「サマースラム」まで引っ張られましたから、現在とは比べものにならないほどドラマの展開はゆっくりしていたわけです。
そういえばゼウスってどこに行ったのでしょうか?
(大阪にいるとか言わないように)


※7/7追記:
ゼウスの動画がありました。
YouTube - ZEUS
しょっぱいとかいうレベルを超越していますね。


試合前、ワールド・レスリング・フェデレーション会長の…ええと、ジャック・タニーだったでしょうか?もう忘れましたが、会長裁定で「各々のマネージャは自分のコーナーから離れてはいけない。レスラーの為に動いたらその場で反則を取る」というルールが追加されました。この辺のやり取りは今とそんなに変わっていませんが、今ならGMかビンスが出てくるところです。


この試合で最も驚いたシーン。
アンドレ、まさかのロープ腕がらみ失敗!!
こんなシーンを見たのは初めてです。


○サベージ(ヒーナン介入による反則)アンドレ×



1984年2月 ワールド・レスリング・フェデレーション世界ヘビー級選手権試合 ハルク・ホーガン vs “ミスター・ワンダフル”ポール・オンドーフ w/z “ラウディ”ロディ・パイパー

ホーガンとは犬猿の仲といわれるオンドーフ。というか、オンドーフが一方的にホーガンを嫌っているそうですが。サベージもホーガンを嫌っているという話ですし、やっぱりホーガンの人格に何らかの問題があるということでしょうか。
でも、ホーガンとはケージマッチですさまじい試合をやってのけていますし、その試合は今でも語り草となっています。

私はポール・オンドーフのファンでした。多くのプロレスファンには「前田明に一蹴されたしょっぱい筋肉バカ」としか認識されていないように思いますが、私はオンドーフの鋼の肉体と地味に巧いレスリングに心酔していました。いかにもアメリカンプロレスらしい立ち居振る舞いは今見ても痺れます。でも、いかにもヒールらしいヒールで相手を立てる方が向いているタイプなので、日本で受けなかったのも理解できます。
ホーガンやパイパーよりレスリングは巧いはずです。ウイリアム・リーガルアメリカで巧いレスラーの一人に挙げているくらいですし、「レッスルマニア(I)」で俳優のミスターTを相手にバンプを取っていたのはオンドーフだったというのがそれを証明しています。当時の感覚だと素人を相手にするなんて考えられません。パイパーもオンドーフも(オートンパパも)よくそんな試合を受けたものです。


○ホーガン(カウントアウト)オンドーフ×


WCWルールならオーバー・ザ・トップロープでホーガンの反則負け。だから実質オンドーフの勝利。と無理やり擁護してみる。