2007/11/27 ECW

at カリフォルニア州ベーカーズフィールド



ケイン vs マーク・ヘンリー

○ケイン(椅子使用による反則)ヘンリー×

ジェイミー・ノーブル vs ナンジオ

○ノーブル(ガット・バスターからピンフォール)ナンジオ×

レイラ vs ケリー・ケリー

自分に無断でボールズ・マホーニーとデートしたケリーに対する嫌がらせとして、前日のRAWでグラマゾンと試合をさせたミズ。今回はエクストリーム・エクスポーゼの仲間、レイラと対戦することに。ケリーは前日のダメージが残っているようで、首を押さえながら入場してきました。


○レイラ(ボディスラムからピンフォール)ケリー×


ボディスラムが決め技になるのを見たのは久しぶりです。
それにしても、レイラがミズをビッグ・ディック・ジョンソン責めにしたことは無かったことにされたのか?



イライジャ・バーク vs シャノン・ムーア

○バーク(イライジャ・エクスプレスからピンフォール)ムーア×

追悼 ファビュラス・ムーラ

2007年11月2日、“女帝”ファビュラス・ムーラが亡くなりました。享年84。


1923年生まれ。デビューは1949年。最近は実戦から遠ざかっていたとはいえ、WWEの番組には出演していましたから、この業界に50年以上も関わってきたということになります。最後に登場したのは今年の「サマースラム」でした。
1956年に世界女子王座を獲得。1983年にはワールド・レスリング・フェデレーション女子王座を獲得。
1968年には日本女子プロレス(全女ではない)で試合をしています。後に全女殿堂入りした小畑千代との試合は東京12チャンネル(現在のテレビ東京)で中継され、20%以上の視聴率を叩き出したという記録があります。
1972年、女性として初めてMSGで試合を行いました。アメリカ合衆国における女子プロレスの扱いは色物そのもので、今でもその状況はあまり変わっていないのですが、ムーラが活躍した時代においてはMSGで試合ができるほどの社会的地位があったようです。
1985年「レッスルマニア(1)」に、“女レイス”ことレイラニ・カイのマネージャとして出場。かつて販売されていた日本語版ビデオでは土居壮さんに「ムーラ婆さん」「清川虹子」「(ロープに足を引っ掛けて転んだ時に)やっぱり年だな」とひどい言われ方をされていました。ちなみに対戦相手のウェンディ・リヒターのマネージャには歌手のシンディ・ローパーが就いていました。
この時点で既に老婆だったわけですが、翌年の「レッスルマニア2」ではなんとチャンピオンとして試合に出場しています(当時62歳)。裸足のベルベット・マッキンタイアからピンフォールを奪って王座を防衛しました。
1987年、シェリー・マーテルに敗れて王座転落。その後、フルタイムでの出場はなくなりましたが、現役選手として各地の団体にスポット参戦していました。
1995年、女性として初めての殿堂入り。
RAWにはメイ・ヤングとの老婆コンビでスキット中心に出演。暴走するヤングを諌める良識派というキャラクタでした。出演頻度こそ減ったものの、今年に入ってもなお時折出演して元気な姿を見せていました。


殺しても死にそうにない妖怪ババアではありましたが、やはり生身の人間には違いなく、寄る年波には勝てなかったようです。メイ・ヤングが元気をなくさないか、それが心配です。
WWEにおける女子選手の扱いが他団体に比べて格段に良かったのは、ムーラの活躍があってこそです。ある意味、女性の社会進出の象徴のような人物でした。
ご冥福をお祈りします。


Fabulous Moolah vs Sensational Sherri-Women's title
なんとシェリー・マーテル vs ファビュラス・ムーラ、後の殿堂者同士のシングルマッチの映像がありました。悲しいかな、二人とも故人です。



ECW選手権試合 (王者)CMパンク vs ジョン・モリソン(挑戦者)

○パンク(スクールボーイによるピンフォール)モリソン×
(リングサイドに来たミズが帽子を投げ入れ、それをモリソンが蹴り飛ばした隙に後ろから丸め込み)